私は去年一年間で、あらゆることが変わってしまった気がします。恋愛や友達の問題など、色々なことが重なりすぎたのが原因です。1月頃から8月頃までその時の問題によって段階を分けて症状が代わり、9月頃から今現在までは一貫して同じ症状が出ています。実際にあった問題や症状について詳しく書くと長くなって書き切れないので、今の状態だけ簡単に書きます。
以前まで持っていた興味関心などが殆ど無くなり、やる気がなかなか起こらず、集中力が持続しません。一日の半分以上寝ても足りなかったり、逆に全く眠れなかったり、食べても食べてもすぐに空腹になったり、食べることを忘れていたりします。あらゆることがどうでもいいと感じ、常に疲れている気がします。
以前は自他共に認めるほど多趣味でしたが、今は好きだとは思っても積極性がなく行動に移すことができません。辛うじて一つ二つまだ楽しんでできることが残っていますが、いつかはそれもなくなってしまいそうで不安です。いえ、不安と思っていたのも少し前までで、今はそれもどうでもいいような気がします。
趣味だけじゃなく、人に対しても関心がなくなっています。前は悩んでる友達がいればすぐに声をかけて相談に乗っていましたが、今では声をかけることすら面倒で誰が悩んでいても自分には関係ないと思うようになりました。他人や自分を信じたり愛したりすることができなくなって、誰かを大切だとか特別だとか思うこともなくなりました。家族も恋人も友達も、結局は赤の他人にしか思えません。いなくなっても、その時は悲しいかもしれませんが、その後は何もなかったように大して変わらない気持ちで日々が続く気がします。一番の○○は誰?と聞かれた時、前はすぐに思い浮かんだのに、今は誰も答えることができません。
リストカットも気が向いたらやりますが、何の為にしているのか自分でもよく分からなくなってきました。たまに首を絞めて意識を飛ばすこともあります。死なないように上手くやる方法を自分で考えてしています。死にたいと思うことはありますし、以前は本気で死ぬことも考えていましたが、今は死ぬこともどうでもいい上に面倒くさく、自殺願望はほぼ残っていません。
長くなりすぎて何を相談したかったのか分からなくなってきたので、これで終わります。
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参考:似ている悩みと対処法
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チャマ(臨床心理士)
π- 2015-01-11 19:21
ご投稿ありがとうございます。臨床心理士のチャマです。
去年1年間で様々なことが重なり、それに伴っていろいろな症状が出て
困ってらっしゃったのですね。そして、ここ半年くらいは、食や睡眠の不安定さと
体の疲労感、様々なことへの興味関心の湧かなさに苦しめられてきたのですね。
これほど様々なことが心身ともにおきてしまっては、生活にもなんらか支障が出た
ことでしょう。この先どうなって行くのか・・・と不安にもなったのではないかなと思います。
以前には、死にたい気持ちもあり、リストカットや首を絞めたりといったことをされてきたのですね。
おそらく、とても苦しく激しい感情に見舞われ辛い時期もあったのだろうと思います。
しかし、そんな感情すらも麻痺したかのうように、あらゆることへの面倒な気持ちが勝って
しまっているようですね。
今回は、どのようなことを質問したかったのか分からないということでしたが、
もしかすると、ご自身でも、自分自身におきている事が何なのか分からず
この先どうなるか不安に思い困ってらっしゃるということを相談したかったのではないかなと
想像しました。
いずれにせよ、しっかりと休息をとり、心身を休めることが大切な時期かと思います。
しかし、それがそう簡単にできない状況もおありかもしれません。その場合は、
心の専門のお医者さんに受診することも検討してもよいかもしれませんね。
この返答を受けて、改めて質問したいことなどが思い出せるようでしたら、
またご返答いただければ幸いです(^^)/
みづいろ、
π- 2015-01-12 03:21
実は、気分の上下にはムラがあって、やる気がある時も楽しいと感じることもあります。歌っている時や演技をしている時など、まだ残ってる趣味をしている時は寧ろ人より楽しく生きているかもしれません。将来の夢を諦めようと思うことはありませんし、勉強などにも急にやる気が出る時があります。ただ、気分が上がっている状態が長続きしません。長いときでも2、3日、短いときでは30分も持ちません。自分がなぜ笑っていたのか分からなくなり、またどうでもいいと感じるようになってしまいます。誰かを愛したり信じたりすることができなくなってしまって、そんな自分が嫌なんです。大切にしたいと思いながら、大切に思ってるのかと聞かれると肯定できない。他人に失望しているようで、一番自分に絶望しているのかもしれません。誰かと一緒にいる幸せを、未来を想像できなくなりました。想像したところで、それとかけ離れた現実が余計に辛くなるだけだと思ってしまうから。友達に大好きだって言われても、心が動かなかったんです。嬉しいと思えなかった。ありがとうって言葉だけ答えても、本当に感謝していたわけじゃないんです。そんな自分がショックでした。
それと、去年の3月頃に、一度精神科には行っているんです。学校のカウンセリングや市の専門機関にも行っています。でもそれは無駄に終わりました。何も話せなかったんです。カウンセラーの方や精神科の先生を信じることができず、心を開けないままで、自分からもう大丈夫ですと切り上げてしまいました。結局診断は問題無しで、先生にはこの程度のことでもう来るなと言われました。パニックや呼吸困難など、様々な症状で苦しんでいた時期だったので、何も話せなかった自分が悪いのに、やっぱり何も分かってくれない、分かろうとしてくれないんだと思ってしまい、余計信じられなくなりました。それ以来、精神科やカウンセリングは勿論、親や教師にも一度も相談していません。他人への興味が無くなるにつれ、段々友達にも相談しなくなっています。たぶん今こうやって悩みを言えているのは、顔が見えないから独り言を言っているように感じるからだと思います。
チャマ(臨床心理士)
π- 2015-01-16 17:12
ご返答ありがとうございます。臨床心理士のチャマです。
ご自身のお辛さをよく話してさいましたね。人を愛したり、信じたり、笑ったり、喜んだり…かつてはそう感じられていたはずなのに、それができなくなってしまい、むしろ人を信じることができなくなってしまった。そんな自分自身に、ひどく嫌な気持ちと、怒りを覚えてらっしゃるのですね。
なりたくない自分であれば、なおのこと嫌なことでしょう。
今の自分を変えたいと思って、頑張って行動を起こされたのですね。そこで、辛さを十分に伝えることができなかった部分もあるけれど、それ以上にちゃんと向き合ってもらえなかった悲しさが勝ってしまったのですね。
お話をうかがって思いますのは、みづいろさんは、今までに色々な辛さやご苦労をされたのかなと思いました。辛くても耐えて、ありたい自分に近づくように一生懸命だったのではないでしょうか。しかし、疲れが相当なものになったのでしょう。
人の心に起きてくる体の不調というのは、必ず意味があります。そうならざるを得ない理由があります。
「心が疲れてしまったよ」そんなSOSとして、心が色々な事に反応しないようになったり、これ以上傷つかないように、人を信じないで、遠ざけようとしているのかもしれません。
そんな自分は自分ではないと思いたくもなるかもしれません。しかし、それも自分の本当の気持ちなのです。
是非とも、「そんなに我慢していたんだね自分。よく頑張ってるよ。」と、ご自身に声をかけてあげてください。そんなご自身を受け止めてあげてください。そうしてあげると、違った何かが見えてくるかもしれません。
カラオケや演技など、楽しめるものがあるのはとてもいいですね。もし可能であれば、日記やご自身の気持ちをノートに書き記してみられるのも良いかもしれませんね。
独り言のような形でも構いません。何かご相談になりたいことがあれば、遠慮せず今後もココオルにご相談くださいね(^^)